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魂の記録:2024.1.1 令和6年能登半島地震 ― 半島という地理的制約と、浮き彫りになった“超高齢社会”の課題

元日、穏やかな日常を切り裂いた激震

2024年1月1日午後4時10分、多くの人々が家族と新年を祝い、穏やかな時間を過ごしていたその時、石川県能登地方を震源とするマグニチュード7.6の巨大地震が発生しました。 石川県志賀町と輪島市では最大震度7を観測し、静かな半島は一瞬にして凄惨な現場へと変わりました。 この地震は「令和6年能登半島地震」と名付けられ、激しい揺れが繰り返し人々を襲い、津波警報が鳴り響く中、多くの家屋が倒壊。輪島市の朝市通りでは大規模な火災が発生し、歴史ある街並みが炎に包まれました。

この地震により、240名以上の方が犠牲となり、多数の負傷者が出ました。 特に被害が大きかったのは能登半島北部地域で、半島という地理的な特性が、事態をさらに深刻化させました。主要な道路は寸断され、多くの集落が孤立。 水道や電気といったライフラインも長期間にわたって途絶し、厳冬期の厳しい寒さが、避難生活を送る人々の体力を容赦なく奪っていきました。 これは、現代社会が抱える多くの課題、特に過疎化と高齢化が進む地域における災害の恐ろしさを、改めて私たちに突きつける災害となりました。

コレクト

分析:半島という“隘路”と、耐震基準の過信

豆知識ですが、今回の災害で支援活動を著しく困難にしたのが、能登半島の地理的要因です。半島はアクセスルートが限られるため、ひとたび主要道路が寸断されると、物資輸送や救助隊の進入が極端に難しくなります。 実際に、道路の寸断によって多くの集落が孤立状態に陥り、被害の全容把握や支援の初動が大幅に遅れる原因となりました。 計算上、平時であれば数時間で移動できる距離が、数日を要する事態となったのです。

そして、もう一つ深刻なのが建物の倒壊です。データ上、1981年に導入された「新耐震基準」以降に建てられた木造家屋でも倒壊例が報告されました。 これは、2020年から続く群発地震によるダメージの蓄積や、2000年にさらに厳格化された基準(通称:2000年基準)を満たしていなかった可能性などが指摘されています。 「新耐震だから大丈夫」という考えは、もはや通用しないのかもしれません。特に高齢化が進む地域では、古い家屋に住み続ける人が多く、耐震化が進んでいない現実も被害を拡大させた一因と言えるでしょう。

浮き彫りになった課題 — 孤立する高齢者と、届かない支援

今回の震災が突きつけた最も大きな課題の一つが、「災害弱者」、特に高齢者の問題です。能登半島はもともと高齢化率が高い地域であり、犠牲者の多くが高齢者でした。家屋の倒壊による圧死だけでなく、避難生活の長期化による体調の悪化や、持病の悪化による「災害関連死」が深刻な問題となっています。道路の寸断は、支援物資だけでなく、医療や介護といった必要不可欠なサービスをも被災者から遠ざけました。

また、支援のあり方そのものも問い直されました。全国から多くのボランティアが駆けつけようとしましたが、交通網の麻痺や宿泊場所の不足、そして何より受け入れ体制の混乱から、その善意が被災地に届きにくいというジレンマが生じました。 行政機能が麻痺する中で、誰が、どのようにして、膨大な支援ニーズと支援者を繋ぐのか。平時からの広域的な連携と、有事を想定した具体的な受け入れ計画の重要性が、改めて浮き彫りになったのです。

ちさまる

ちさまるの想い

道がなくなっちゃって、誰も助けに来てくれないかもしれないって、どれだけ心細かっただろう…。おじいちゃんやおばあちゃんたち、寒い中で、不安で、本当に大変だったよね。助けたいって思っている人は全国にたくさんいたのに、その気持ちがなかなか届かないなんて、本当にもどかしいよね。でもね、そんな中でも、ヘリコプターで物資を運んでくれたり、遠くから駆けつけてくれたりした人たちがいた。その一つ一つの「助けたい」っていう想いが、凍えそうな心を少しでも温めてくれたと信じたいな。当たり前の道が、当たり前の暮らしが、どれだけ大切だったのかを、改めて感じさせられるね。

未来への提言 — すべての“半島”と“過疎地”への警鐘として

令和6年能登半島地震は、決して他人事ではありません。日本には能登半島と同じように、地理的な制約を抱え、高齢化が進む地域が無数に存在します。私たちはこの魂の記録を、すべての「半島」や「中山間地域」への警鐘として受け止めなければなりません。

まず、インフラの強靭化。代替路の確保を含めた多重的な道路ネットワークの整備や、ライフラインの耐震化を、国の喫緊の課題として進めるべきです。 次に、支援体制の抜本的な見直し。行政だけでなく、NPOや民間企業が連携し、平時から災害時の役割分担を明確にした、実効性のある支援ネットワークを構築する必要があります。そして何より、地域住民一人ひとりの防災意識の向上です。自分の住む地域の弱点を理解し、いざという時にどう行動するかを家族や近隣住民と話し合っておくこと。それが、公的な支援が届くまでの時間を生き抜くための、最も重要な備えとなるのです。

この悲しみを乗り越え、より災害に強い社会を築いていくこと。それが、能登の地で失われた尊い命に報いる、私たちの責務です。

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