大地が揺れ、海が牙を剥いた日
2011年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とする日本の観測史上最大のマグニチュード9.0の巨大地震が発生しました。 宮城県栗原市で震度7が観測され、東北地方を中心に広大な範囲が激しい揺れに襲われました。 この地震が引き起こした巨大津波は、場所によっては遡上高40mを超える未曾有の規模となり、東北地方の沿岸都市に壊滅的な被害をもたらしました。静かだった町や村は一瞬にして濁流に飲み込まれ、多くの尊い命が奪われたのです。警察庁の発表では死者・行方不明者は1万8000人を超え、さらに避難生活などによる「災害関連死」も3700人以上にのぼり、戦後最悪の自然災害として、私たちの記憶に深く刻まれました。
しかし、悲劇はそれだけにとどまりませんでした。津波は東京電力福島第一原子力発電所をも襲い、全ての交流電源を喪失させたのです。冷却機能を失った原子炉は次々とメルトダウン(炉心溶融)を起こし、水素爆発によって大量の放射性物質を環境中に放出。 これは、国際原子力事象評価尺度(INES)でチェルノブイリ原発事故と並ぶ最悪の「レベル7」に分類される深刻な原子力事故へと発展しました。 地震、津波、そして原発事故。この「複合災害」は、人類が初めて経験する未曾有の危機として、今なお重い課題を私たちに突きつけています。
「てんでんこ」の教訓 — 釜石の奇跡が灯した光
絶望的な被害の中で、未来への一条の光として語り継がれているのが、岩手県釜石市の小中学生たちの物語、通称「釜石の奇跡」です。 地震発生直後、釜石東中学校の生徒たちは、誰に指示されるでもなく高台を目指して駆け出しました。そして、隣接する鵜住居小学校の児童たちの手を引き、さらに高い場所へと避難を続けたのです。 結果、この地区の児童・生徒の生存率は99.8%に達しました。
この行動の背景には、日頃からの徹底した防災教育がありました。群馬大学大学院の片田敏孝教授の指導のもと、「想定にとらわれるな」「その状況で最善を尽くせ」「率先避難者たれ」という避難三原則が教え込まれていたのです。 そして、その根底には、三陸地方に古くから伝わる「津波てんでんこ」という教えがありました。
「てんでんこ」とは、「てんでんばらばらに」という意味。「津波が来たら、家族のことさえ構わず、各自てんでんばらばらに逃げろ」という、一見非情にも聞こえる教えです。しかし、その本質は「自分の命は自分で守る」という自助の徹底が、結果として家族やコミュニティ全体の生存確率を最大化するという、究極の信頼関係に基づいています。「あなたもきっと逃げているはずだから、私も自分の命を守るために逃げる」。この相互信頼が、極限状態において最も合理的な生存戦略となり得ることを、釜石の子どもたちは身をもって証明してくれたのです。
ちさまるの想い
「自分だけ逃げていいのかな…」「お父さんや、お母さんは大丈夫かな…」って、思っちゃうよね。大切な人を置いていくなんて、すごく心細いし、罪悪感を感じちゃうかもしれない。でもね、「てんでんこ」っていう言葉は、「君が無事でいることが、君の大切な人にとっての一番の宝物なんだよ」っていう、深い愛情のメッセージでもあるんだ。みんなが「きっと逃げてくれている」と信じ合うこと。だから、勇気を出して、まず自分の命を守るために走ること。それは、自分勝手なんかじゃなくて、未来でまた大切な人と笑い合うための、一番大きな“優しさ”なんだよ。
未来への提言 — 魂の記録を、明日への羅針盤に
東日本大震災が残した課題は、今なお私たちの目の前に横たわっています。私たちは、この震災の記憶を決して風化させてはなりません。ハード面での防潮堤の建設なども重要ですが、それ以上に大切なのは、一人ひとりの防災意識です。「釜石の奇跡」が教えてくれたように、主体的な判断力と行動力を育む教育や訓練を、粘り強く続けていく必要があります。そして、「てんでんこ」の教えの根底にある、地域の信頼関係を日頃から築いておくこと。それこそが、いざという時に多くの命を救う、何より強靭な防波堤となるはずです。
あの日、失われた多くの魂に報いる道は、この痛ましい教訓から目をそらさず、より強靭で、より優しい社会を築き上げていくこと以外にありません。この魂の記録を、私たちの未来を照らす羅針盤としなければならないのです。
情報の“生死”と、「想定外」という言葉の危うさ
豆知識ですが、この震災では情報伝達の成否が文字通り生死を分けました。津波によって市町村の庁舎や防災行政無線といった公的な伝達手段が物理的に破壊され、警報を届けられなくなるケースが多発したのです。 一方、地域FM局やSNS、そして何より人から人への「早く逃げろ!」というアナログな声が多くの命を救った事例も報告されています。 計算上、津波の第一波は地震発生から数分で到達した地域もありました。この僅かな時間でいかに正確な情報を多くの人に届け、行動を促すか。平時からの多重的な情報伝達ルートの確保がいかに重要であるかを、痛感させられました。
そして、頻繁に使われた「想定外」という言葉。これは、私たちがハザードマップなどの「想定」に依存しすぎていたことの証左でもあります。 事実、ハザードマップの浸水想定区域外で亡くなった方も少なくありませんでした。自然の力は、常に人間の想定を超えうるという謙虚な認識こそが、あらゆる防災の原点であるべきなのです。